『経験は強力な武器であり、知識は最悪な武器である。

                     だが、それらを併せ持つ事が出来た時、最高の武器となる』

 

…と思うが、結局は個人の考え方によるものなので、実際の所どうなのかは分からない。

俺が今まで生きてきた中で、

            「そんな事やってんの?あんなのやっても面白いわけ無いじゃん!」

と、いうようなニュアンスの事を発言する人が多々存在した(存在している)。

自分が実際に経験した訳でもないのに、他人の行動を頭から否定しているのである。

又は、少しかじった程度で「全てを把握した」と思っている場合もあるのだろうが…。

当然その発言は、今までの「別の経験と知識」からの予測であるのだと思うけど、

「他人の行動を頭ごなしに否定する」…その方が問題のある行動では無いのだろうか?

俺のやってる事が、法律に反しているのなら否定されても仕方が無い…と言うか当然の事なのだが、

別に他人に迷惑を掛けている訳でもなく、自分のやりたい事をやっているだけなのだ。

…もっと凄い人(酷い人)になると、

               「別に迷惑掛けてないから良いじゃん。」

と言うと、

               「いや、そういう奴の存在が迷惑。」

…まぁこれは、ある程度面識があるから言える事なんだが(笑)。(多分そうだと思うのだが…)

人それぞれ「異性」や「趣味」や「友人」等の好みが違うのは当たり前の事であり、

自分の趣味(やっている事)が「万人に好まれるもの」だと思うのは『間違い』だと思う。

あれ?話を戻そう…。

 

では何故、知識だけでは足りないのか?…当たり前である。

知識というのは、ある事柄の「感じやすく、表面に出やすい部分」が一般的に出回る為、

その事柄の「重要だけど、あまり目立たない部分」は、経験者にしか分からないのである。

だからと言って、多少かじった程度では物事の本質まで見抜く事は出来ないだろうし、

多少かじった程度で物事の本質を見抜く事の出来る「事柄」だったら、ハマル人は少ないだろう。

それを分からずに他人の行動を批判するのは『愚の骨頂』だと思う。

自分がある程度経験して、それで判断するのは勝手だが、自分の中で相性が悪かっただけで、

万人が相性悪い訳ではない。結局は「自分が標準」と考える人程、どことなくずれているものだ。

つまり、ある事柄に対して自分の意見を述べる場合、「自分はこう思った」程度で抑えるのが無難である。

仮に自分の行動が批判された場合、自分がどう思うか(どう感じるか)考えてみれば分かると思うが…。

 

経験については、何も考えずに「ただ単に体験する」のでは、何も成長する事は無い。

物事を考えながら体験し、その事柄を自分流にやりやすくしなければ、ほとんど意味の無い時間に終る。

他人のやり方を真似してばかりいては、悪効率でしか無い。

その事柄に対して自分の感じたこと、思ったことを自分なりに工夫する事で、

物事の本質を把握できるのでは無いのだろうか?

ある程度経験して、その上で自分の「感じた事(思ったこと)」を述べれば聞いてる方も納得がいくだろう。

 

自論

     『中途半端な経験や知識のみで結果を語る資格無し』

 

 

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