「嘘とは、その時点での考えとは異なる答えを相手に伝える事」

…俺自身はそう思っているのだけれど、他の方は『嘘』に対してどう思っているのか聞いてみたい。

このテーマは、色々と俺の考え方に批判を受けた為、ちょっと考え直す意味で書きたいと思います。

ただし(←これ重要)、今回は多分物凄く長いです…文章が…。

 

まぁ元を正せば、他人の物事の考え方に批判をするのもどうかと思うのだが、考え方は人それぞれ

なので、俺がその人に対してどうこう言う問題でもないと思う。

ただ、多くの人の『嘘』に対する考え方を知りたいだけなのです。なので、出来ればで良いのですが

このコラム?を見て頂けた方は、『嘘』に対する考え方をメールか何かで聞かせて頂けたら嬉しいです。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、本題に入ると致します。

 

冒頭にもあった通り、俺の中での『嘘』は「その時点で思っている事とは異なる発言を相手に伝える」事

だと思っています。まぁこの文章だけなら、そんなに批判は受ける事は無いと思うのだが…。

…では、あなたが「嘘を吐かれた」と思う時はどんな時なんでしょう?

俺が「嘘を吐かれた」と思うのは、その場の相手の発言に疑問を持ち、その人がその人の考えとは違う

事を言ってる、と『その人が同じ事由に対し異なった発言をする前』に俺の中で判断した時である。

では何故、『その人が同じ事由に対し異なった発言をする前』なのか。

…「気が変わった」や「そんな事は言ってない」と言われればそれまでだからだ。

もしも、絶対に守って欲しい事であるのならば、書面にでも書かせるべきである。

まぁそんな事をしてまで人を疑ってはいけないと思うのだが…。

第一、他人を信じない人とは付き合わないのが当然の事だと思うし、自分が「嘘を吐く人」と思ってる人

とは関わり合いを持ちたくないって言うのならば、関わらなきゃ良いだけの事である。

こっちが嫌いと思っていれば、自然と相手も自分から離れていくと思う。

…完全に違う話になってる(笑)

 

では1つ例を挙げてみます…次の場合、あなたはBさんの立場になってください

A「今週の日曜は用事があるけど、来週の日曜だったら絶対に大丈夫だから、遊びに行こう。」
B「うん。分かった♪来週の日曜だね?ホントに絶対大丈夫なの〜?」
A「絶対に大丈夫だって(笑)」
B「分かった、来週の日曜ね♪約束だよ。」
A「分かった〜、約束ね〜♪」
ふうぅぅ…俺にはこういう文章は向かないなぁ…結構疲れた(苦笑)
で、前日になって、

A「ごめん…やっぱり用事が入っちゃった…。」

…と言われた場合、あなたはどうでしょう?…Aさんに『嘘を吐かれた』と思いますか?

…ちなみに俺は、Aさんが『嘘を吐いた』とは思いません。

確かに両名間で『約束』は交されましたが、約束をした時点では本心と違う事を言ってるとは思えません。

「約束を破る」や「異なる発言をする」…これらの場合、「約束した時点」や「異なる発言をする前」で嘘を

言ってない限りは、意見を変えるのに「何かしらの理由」があるのだと思ってます。

それが例えBさんにとってはくだらない理由だったとしても、Aさんにとっては意見を変えなければいけない

くらいの理由なのかもしれません。……人それぞれ「大事な事(物)」は違いますから。

 

ここからはあくまでも俺の想像の範囲で書かせて頂きます。(考え方を少し変えてみます…)

もしこの事を『嘘を吐かれた』と判断した方の場合、「約束は約束…何が何でも守るべき」と考えているの

でしょう…。推測ですが…。でもそれって、自分が1番…と言うか、自分が何に対しても優先されないと

「嫌」みたいな考え方だと思います。もしも自分が他の人と約束をした後に、自分にとってその約束よりも

大事な事があった場合、その大事な事を捨ててまで約束を守り通す事が出来ますか?

もしも、その大事な事を優先させた場合に、相手に「嘘つき」と言われて納得出来ますか?

反論はいくらでも受け付けますので、出来れば教えてください。

 

それと、例の出来事に対して「分からない」や「相手による」と考えた場合のもう1つの俺の想像ですが、

ん〜…なんて言えば良いのか、ちょっと分かりませんが、何か…自分勝手な気がするのですが…。

『嘘』に対する自分の中のボーダーラインを、相手に押し付けてはいませんか?

仮に約束を破った相手が「彼氏・彼女」又は「家族・肉親」とした場合、例の事柄に対して「嘘つき」と

相手に言ってしまうのではないでしょうか?…なんとなくそんな気がします。

もしも、Aさんが当日になって「予定が無くなったから遊べる」と言ってきた場合、その事に対してもAさんに

「昨日は遊べないって言ったのに…嘘つき」とみたいな事を言うのでしょうか?…言わないでしょう?

自分にとって都合の悪い意見の変更が、自分の中で『嘘』に設定されていませんか?

自分にとって都合の良い意見の変更は、自分の中で『嬉しい事』になっていませんか?

 

そして、仮に約束を破った相手が「それほど親しくない人」とした場合、例の事柄に対して「仕方が無い」と

自分の中で片付けてしまってはいませんか?それとも相手に「嘘つき」と言ってしまうのでしょうか?

事柄は同じ事なのに、相手によって嘘と思ったり、嘘と思わなかったり…何か変じゃないですか?

自分が勝手にその人を信じて、それで裏切られたとしても、それは自分の判断ミスであって、

その人の責任では無い…と、俺は思うのです。…俺の考え方が変なのでしょうか?

 

では、最後にもう1つ例を挙げてお終いにします。最近はすっかり疎遠になってしまったのですが…。

「お年玉」…これを親に「来年は1万円あげるよ」とお正月前に言われたとして、

実際お正月になった時にお年玉袋の中身が「5千円」しか入っていませんでした。

この場合、あなたは親に対して「嘘つき」と言いますか?

逆に、お年玉袋の中身が「2万円」も入っていました。

この場合、あなたは親に対して「嘘つき」と言いますか?

…この場合、例を挙げた2つとも「親は口約束を守っていません」

もしもこの2つに対して実際に「嘘つき」と言える人が居るのであれば、ある意味凄いと思います。

誰だって(詐欺師以外は)最初から相手を騙そうと思ってる人は、そんなに多くないと思います。

意見を変える(約束を破る)には「その人なりの事由」が必ずある…と、俺は思っています。

 

…自分にとって都合の悪くなる意見の変更に対してのみ、『嘘』と思うのには俺は納得出来ないし、

自分の中の判断で、相手を嘘つき呼ばわりするのもどうかと思う。

…以上で終ります。長々とお付き合い頂きまして感謝いたします。

意見を言ってくださる方がいらっしゃれば嬉しいのですが…。

メールでの簡単な意見でも構いませんし、掲示板へのHN「あ」での書き込みでも構いません。

出来れば何かしらの反応をお待ちしております。…一応最後に、

 

自論

  『都合の悪い事のみ批判する事は、ただの身勝手である』

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