「便利な物は使用頻度が低くとも堕落しやすく、不便な物は使い込むほど成長出来る。」

 

便利と言われる物は確かに使いやすく、大した苦労もせずに上達出来るが、万能性が無い。

万能性が無いと言うのは、例えば「物凄く良く切れる包丁」があったとする。

それは使う人を選ばない、「誰にでも良く切れる包丁」なので、初心者にも使いやすい。

しかも、初心者が使っても結構上手に切れる為、それ以上に精進する事は少ない。

ただ、時々しか使わないものについては、便利に越した事は無い。

何故なら、時々しか使わないものは不便な物を使って慣れたとしても、すぐに感覚を忘れてしまうから

無理して不便なものを使う必要は無いと思う。

 

不便と言われる物は確かに使いにくく、かなりの苦労をしなければ上達出来ないが、臨機応変が可能。

臨機応変って言っても限界はある訳だが、少なくとも「物凄く良く切れる包丁」を初体験した時に、

初心者よりは遥かに上手に使う事が出来るだろう…程度でなのだが。

では何故上手に使う事が出来るのか?

「経験がある」っていうのは当たり前の事なので突っ込みは入れないで欲しいのだが、

不便な物を使い込むというのは、少なからず上手に使おうと努力するものである。

まぁただがむしゃらに使い込んでいたのでは、何の意味も持たないのだが…。

上手に使おうと努力するって言うのは、「考える事」である。

「どうすれば上手く使えるだろう?」「どうすれば切りやすいのだろう?」「何が悪いのだろう?」

などと考える事が、上達する方法みたいなものだと俺は思う。

 

今回は「包丁」を例えにして書いてみたが、別に包丁でなくとも同じ事が言えるだろう。

勉強もスポーツも何に対しても「苦労する」と言う事は「成長する」と言う事ではないのだろうか?

たとえ、その目的の物に対して目を見張る上達が見えなかったとしても、その苦労は何かしらに

影響されると思われる。上達に対して識別するとすれば、不便な物(事)をある程度やりこんでみて、

その後に、便利なものを使ってみると自分の上達の具合が分かりやすいと思う。

…絶対に分かる。なんて事は言えないが、結構この方法で分かる事もあると思うので、一応参考までに。

 

自論

  『楽を選ぶ人が、苦労人を蔑む事は自分自身を蔑む事となる』

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