「手法に限界は無いけれど効率を考えると限界を作らざるを得ない」

…と言うのは、リクエストして頂いた方の談。

   「自分流の手法に修正してこそ効率の良さが生まれる為、限界を作る事は効率を悪化させる」

…これが俺の考え方。

 

個人によって、知識・経験・基礎体力・等などが異なる為、いくら効率の良いやり方をしてる人の真似を

したところで、その人の効率を上回る事など出来る訳が無いと思う。

効率の良い手法を持っている人というのは基本的に、自分の手法や他人の手法を『自分流にアレンジ』

している事が多く、誰かの『自分流にアレンジされた手法』を良効率の限界と決めてしまい、

他の人がその手法を同じように行った場合、効率良く出来るかのだろうか?

返って、悪効率と思っていた『自分の手法』が、良効率と思っていた『他人の手法』よりも効率良く出来る

事も、そんなに少ない話では無いだろう。

だからと言って、何をするにも自分で考えて行動するのが良策とも限らない。

物事のほぼ全てにおいて「基本」と言うものが存在し、基本を理解していない人が「応用」をマスターしよう

としても、自分流の良効率をマスターするまでにかなりの「無駄」が生じる為、他人の手法を手本にするの

が悪いと言ってる訳でもない。…手本は良いが、真似は薦められない…と言った所だろうか…。

 

つまり、「限界を作る」(マニュアルを作成して、その通りに物事を行う)というのは、

自分で物事に対する効率を判断出来ない(しない)人にとってはありがたいことなのかもしれないのだが、

効率を求める人にとって「マニュアル厳守」という事項は、邪魔な事でしかない。

「マニュアル」というものは、「最低限守らなければいけない事項」という形で存在して欲しいものだ。

…基本を守った上で、効率の良い手法をとっていたとしても、「教えたやり方と違う」・「マニュアルと違う」

などと文句を付けてくる「意味不明な方」が稀に存在するのだが、一体何なんだろう?

そこまでマニュアルにこだわり、悪効率の作業を続けさせる事に意味はあるのだろうか?

…確かに、「何か問題が発生した時」などにはマニュアル通りやっていたら言い訳はしやすい為に、

「マニュアルを厳守させる(する)」というのは「自分を守る」為には最適な事柄なのかもしれない。

 

「手法の改善による良効率」と「定められた限界の尊守による自己防衛」…結局どちらを選ぶのかは、

個人の自由なのであるが、どちらも大切な事ではあると思う。ただ、両立させるのが難しいだけで…。

まぁ俺は何事にも「自分的に無駄だと思う時間」があるのを好まないので、全ての物事(作業)において、

「自分流のやり方」で対応して生活しているつもりではいる。

「自己防衛」に関しては、問題が起きてから対処すれば良いと思ってるし、問題が起きてからでは対処が

出来ない事など、そうそう頻繁に起きる事ではないので、その事に対して日頃から対処したいとは思わな

い。死んだら死んだで、その時はその時である。

マニュアルのみで行動する人もいるらしいが、それはそれでその人の生き方だから、

その人が好きでやってる事ならば、別に何も言う事は無い。…第一、言う権利も無い(笑)

…自分の好きなように生きなければ、死ぬ時に後悔するのは目に見えて分かっている。

まぁ約束事を守らなければ、生きてる時に後悔する事が多いと思うのだが(笑)

「生きてる時の後悔」と「死ぬ時の後悔」…どちらを取るか…ですかね?

 

自論

   『手法に限界を設ける事は、悪効率を助長させる事である』

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