『外見と内面は反比例しやすく、共に良く見られるためには最上の努力が必要である。』

 

一概には言い切れないけど。俺は外見には全く興味が無いので、そういう人達の考えは分からないが、

俺が今まで出会った「外見ばかりを気にする人達」は、外見を気にしない人に対して見下した態度をとる

傾向にあるように思われる。

                   「もっと格好良くなりたいと思わない?」

たまにそういう人に言われる言葉なのだが、俺は別に「格好良くなりたい」とは思わない。

って言うか「格好良くなりたい」っていう意識があったら、そんな事を言われる前に努力してるだろう。

しかも外見に興味が無く、服装で「この人格好良い〜」なんて思った事の無い人に、

そんな事を聞かれても、困ってしまう…。

第一「格好良く」って何?

人それぞれ好みが違うし、服の趣味だって違うわけだから、本人が格好良くしてるつもりでも、

違う趣味の格好良くしてる人から見れば「格好悪い」事になる。

そういう人同士の会話を聞くと、非常に面白いものがあるのだが堂々巡りの結果、第3者に仲介される。

結構見た目を気にする人は、相手にも外見の良さを求めたりするから困りものである。

   「別に自分は自分で好きな格好してるんだから、相手にも好きな格好をさせれば良いじゃん」

何て事は、俺がよく思うことなのだが、終いには

                   「こんな格好の人と一緒に歩きたくない。」

などと言い出す始末。。。「歩かなきゃ良いじゃん」…なんて思ったりするが、口にはしない。

…たまに口にするが(笑)

一つ思うのは、それほどまでに外見って大切なのだろうか?

「外見が良ければ、中身が良く見える」…確かに一つの考え方ではあるものの、でもそれはあくまでも

「うわべだけ」のものであって、付き合っていく内にいつかは剥がされるものである。

実際俺の知ってる限りでは、外見を良くしようとしてる人で「俺から見て中身が良かった人」は居ない。

もちろん今の意見は「俺の知ってる範囲内」なので、「どこにも居ない」とは言っていない。

 

内面が良い人…これも良く分からない表現ではあるが、1人1人の捉え方によるものが大きいと思う。

良い人というのは、世間一般の目から見たものではなく、「自分から見て良い人」の事を指すのだろう。

要するに自分にとって「役に立つか」「役に立たないか」の違いで、「良い人」「悪い人」の区別がつけら

れているのではないかと思う。この「役に立つ」と言うのも多少聞こえが悪いのだが、細かく言うと

「一緒にいて楽しい」「自分の為になる」「気持ちが安らぐ」「悲しみを分かち合える」「一緒に居てくれる」

など、色々な事が挙げられる。これを「役に立つ人」以外に表現の仕方が分からないので許して下さい。

例えば、「自分の事を引っ張って行ってくれる人」が居るとしよう。

こういう人が好きな人から見れば、この人はとても良い人に見えるだろう。

逆に「自分の意思で歩きたい人」から見れば、ただの迷惑者にしかならない。

つまり、いくら内面を良く見せたくても人それぞれ感じ方が違う為に、自分の理想の内面にしたとしても、

みんなに好かれる訳ではなく、自己満足にしかならない。

ただ、努力した事に対しては、その経験が必ず誰かの役に立つ事がある為に無駄にはならない。

 

自論

  『外見や内面を磨いた結果には、自己満足しか残らない』

 

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